附二:
金山穆韶年表
金山穆韶年表
年月日 事項
明治9年10月30日 富山県上新川郡大山村に金山忠吉の次男として出生
明治21年3月22日 大岩山(日石寺)春山一覚師の範子となり得度。僧名法龍(13歳)
明治24年12月日7日 四度加行成満
明治25年4月29日 伝法灌頂。鼎龍暁大僧正より受く
明治30年4月 高野山へ登山、古義真言宗大学林入学(22歳)
明治32年7月26日 原心猛、密門宥範、鼎龍暁、鎌田観応、葦原寂照、土宜法龍、泉智等、龍池密雄、松永昇道、法性宥鑁、浦上隆応、和田大円、高岡隆心等の諸大徳より根本十二流及び84方の伝授を受く
明治34年6月 古義真言宗大学林卒業、日石寺に帰山(26歳)
明治34年春 大学林に再修学のため高野山に登る
明治35年 高野山中学校教諭就任
明治38年10月12日 高野山大学教授就任
明治43年春 兵車県長楽寺住職(35歳)
大正2年~昭和8年 21年間にわたり奥の院弘法大師御廟に日参
大正5年9月 勧学会3年目出仕(41歳)
大正8年2月6日 高野山天徳院住職(44歳)
大正9年4月 金剛峯寺法会調査会委員
大正10年 中国・アメリカ人に真言密教を教授指導する
大正11年 金剛峯寺座主土宜法龍師と同名であるため穆韶と改名
大正13年7月12日~大正8月30日 阿波大龍寺で虚空蔵求聞持法厳修
大正13年11月3日 学修灌頂。宝寿院にて泉智等大僧正より受く(49歳)
大正15年 中国仏蹟参拝(51歳)
昭和4・15・20年 八千枚護摩供厳修
昭和5年10月2日 具支灌頂。勧修寺に於て和田大円大僧正より受く
昭和6年10月15日 瑜伽灌頂。智積院に於て和田大円大僧正より受く
昭和9年7月24日 宝寿院門主、修道院長就任
昭和10年8月6日 宮中後七日御修法定額僧となる
昭和12年5月~ 日々護摩供を修す
昭和15年12月1日 高野山大学長就任。大正、龍各大学との合併に反対し、高野山大学の存続をはかる(65歳)
昭和18年10月 密教学研究所長就任
昭和19年2月22日 第444世寺務検校法印職昇進(69歳)
昭和19年5月 太元帥御修法出仕。金剛峯寺
昭和20年12月24日 大僧正昇補
昭和26年11月17日 真別処円通律寺和上歴任
昭和28年2月22日 高野山真言宗管長、総本山金剛峯寺座主就任(78歳)
昭和28年12月28日 一千座護摩成満
昭和29年10月29日 宮中菊花宴に参列 、
昭和31年11月20日 五大不調につき渡印中止
昭和33年6月11日 天徳院で遷化(83歳)。肉食妻帯せず行学兼備・持戒堅固の高徳であった